[小話]優しい嘘
2008/3/28 金曜日
ふわふわとした世界が、気だるく肢体を包む。飲みなれない酒は思ったよりも効いているようで、ぼんやりしたままロディはセシリアを見上げた。ベッドに寝転んでいる自分を覗き込むセシリアは、後ろから明かりを受けて柔らかい光を放っている。綺麗だな、と素直に思った。
「大丈夫ですか、ロディ?」
「うん」
微熱のような温い世界で、セシリアの声と姿だけがくっきりと届けられる。自分の声さえぐんにゃりしているのに、セシリアの声はどこか清水のようにさらり伝わってくるのが不思議だった。
「本当の本当に、大丈夫ですか? あ、お水飲みます?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「……ならいいんですけど……」
よほど気にかかるのか、セシリアが小さくため息をついた。セシリアが心配してくれるのが嬉しくて、ロディはふにゃりと笑う。
ザックに強かに飲まされたロディと違い、ほとんど飲んでいないセシリアの顔色は、ごくごく普通だ。それでも頬が淡い桜に染まっているのは、先ほどまで続いていた宴の余韻だろう。酒ではなく、高揚した空気に酔っているに違いない。
「今日は、楽しかったねぇ」
「そうですね」
今夜の食事は、まさに宴会、といった感じだった。魔族を倒した影響か、それとも別の要因があったのか、守護獣の力が強まりつつあるらしく、ファルガイアには次第に雨と緑が増えつつある。とはいえ、野菜や果物といった農作物は、まだまだ高価なものが多い。今夜の食事には、そうした高価な野菜をふんだんに使った料理や、珍しい魚の料理などがたくさん並んだのだ。珍しいだけでなく美味である料理の数々に、ロディやザック、それにもちろんセシリアも、存分に舌鼓を打ったのだった。
「それに、セシリアの唄、すごく綺麗だったし」
「ふふ、ありがとうございます。……なんだか、改まって褒められると照れちゃいますね」
「そう? でも、本当に綺麗だったし。ザックはまぁ……アレだけど」
余興とでも言うのか。セシリアが披露してくれたのはアーデルハイドに古くから伝わるらしい歌だったが、高く澄んだ声で紡がれる旋律は、天上よりの調べと言えるほどだった。酒場に居たほかの客達も大絶賛で、拍手の嵐だった上に、「もう一曲」の掛け声まで飛んでいたから、決してロディの贔屓目だけではないだろう。
ちなみにその後調子に乗ったザックが歌ったときは、魔物の精神攻撃を思わせる歌声に、酒場中がブーイングに包まれた。ザックは「俺様の美声が輪からんとは芸術を解さん奴め」などと言っていたが……ハンペンに「その言い草はゼットそっくりだね」などと止めを刺されていた。
ただひとつ、気になることがあるとすれば。
「セシリア……あのさ、今日は何かの記念だったの?」
「ふふ、内緒です」
本日何度目かの質問をそれまでと同じようにかわされ、ロディは小さく唇を尖らせた。今日の食事会を手配したセシリアは、どうやら最後までその理由を教えてくれないつもりらしい。
セシリアもザックも、ロディも今日が誕生日というわけではない。ついでに言うと、三人が初めて出会った日でもない。ましてや魔族を倒した日でも無いし……そもそも、その日なら毎年ジェーンやエマ、ゼットという、今は離れている仲間達と毎年の再会を約束した日でもあるから、こうして三人(+1)だけで騒ぐということは無いはずだ。
ロディがセシリアやザックと共に旅をするようになってから、軽く一年は経っている。その間に、それぞれの誕生日をはじめ大抵の「記念日」は経験してきた。その記憶に照らして考えてみても、今日は何か特別な日だという記憶は無い。とはいえ、渡り鳥としての生活が長く、ややもすると日付の感覚さえぼんやりしがちなロディとザックに比べ、セシリアは彼女らしい繊細さで、折々の節目を大事にしてきた。だから今回も、ロディには気付かない、彼女にとって大事な何かの日なのかもしれない。
……ここまで頑なに教えてくれないのは不思議だけれども。
「ロディ、そろそろ眠いのではないですか?」
「う、ん……」
柔らかいセシリアの問いかけに、否定したかったがしきれず、ロディは曖昧に頷いた。
実のところ、物凄く眠い。じわじわと体を締め付ける睡魔はなかなかに強力で、体の奥底が痺れているような気持ちさえする。本当に楽しかったからまだまだ居たかったのに、1階の酒場から2階に取った部屋へ移らざるをえなかったのも、この眠気のせいだ。ロディよりもっとずっとたくさん酒を飲んでいるザックは全く平気なようで、今も一人酒場で飲んでいることを思うと、いささか情け無いような気もする。それとも、何度か飲むうちに慣れてくるのだろうか。
「無理はしなくてもいいんですから。ゆっくり休んでくださいね」
「ん……」
明かりはつけっぱなしだし、カギも開け放しだが……まぁ、いい。きっとセシリアがカギをかけて、同室のザックに届けてくれる。今はもうとにかく、眠くて眠くて仕方が無かった。
だから。
「また明日ね、セシリア……」
「……はい。……おやすみなさい、ロディ」
僅かに震えた声音にも、深い感情を映した微笑にも、零れ落ちた一滴の涙にも気付かずに。
ロディは引き込まれるように眠りに落ちたのだった。