[小話]道標を胸に。

2007/10/17 水曜日

 窓の外でいまだ続いている喧騒に、ティエンは唇を固く噛み締めた。何も知ろうとせず、ただ無邪気にはしゃぐ群集が、今はひどく疎ましい。
 差し向けられた軍を少数の兵で破り、レインウォールの防衛に成功したのだ。ゴドウィン家に対する敵愾心と領主バロウズ卿への信頼、今後の相場への動きに対する期待とで、いまやレインウォールの街中が浮かれているといっていい有様だった。帰って来た王子を歓呼の声で迎え入れ、夜も更けた今なお、お祭りじみた騒ぎが続いている。そうした雰囲気をいち早く察知したのか、それとも彼こそがそうした街の雰囲気を演出したのか……サラム・バロウズは祝勝と言うには華々しすぎる宴でティエンたちを労ってくれた。とはいえ、今はもうその宴も終わり、他の仲間たちはそれぞれ与えられた部屋で、疲れた身体を休めているはずだ。
「……ぐぅッ……は、ぁ……ッ」
 こみ上げる吐き気に逆らわず、洗面台の端に手をついて、ティエンは嘔吐する。何度も何度も……胃の中にはもう何も入っておらず、胃液しか出てこないが、それでも吐き続ける。

(……たすけて……)

 覚悟は、していた。そのはずだった。奪われたものを取り戻す、そのために軍主として祭り上げられることも、一時的とはいえリムスレーアと対立する立場になることも、承知の上で選んだはずだった。
 けれど、それは現実を知らない愚か者の、薄っぺらい覚悟に過ぎなくて。
「……はぁッ、……はッ……」
 『取り戻す』――そのために奪ったもの。ティエンに率いられ、レインウォールを出て帰ってこれなかった兵士と……自分達の刃に倒れたゴドウィン側の兵士達の、命。
 敵、と断じるのはたやすい。けれど、彼らも同じファレナに住む、ティエンが女王家に連なるものとして守らなければならなかった、民だ。そして何よりも彼らにも帰りを待つ親や子や兄弟、恋人が居て、誰かにとって『かけがえのない誰か』だったはずだ。

(たすけて、リム……!)

 それが大切な恋人を守ることにも繋がる、そう信じて志願した者もいるかもしれない。故郷の家族を養うために兵となり、生活を切り詰め給金のほとんどを仕送りにあてていたものも、いるかもしれない。立身出世のために兵となったものも、集落の総意として人柱同然で連れてこられたものも、いたのかもしれない。
 ティエンには確かめるすべはないけれど、それぞれの人生にそれぞれの大事な人が居て……そして、ティエンはそれを踏みにじり、屍の山へと変えた。リムをとりもどす、そのために。
「……ふ、……」
 一時的かもしれないがようやく吐き気がおさまり、口の中を漱ぐ。目の前の鏡に視線を向けると、薄い明かりにぼうっと照らされて、青ざめた顔に冷たい汗をびっしり浮かべている自分の姿がぼんやり映った。幽鬼のように荒んだ空気を纏う自分の影の向こうに、陽光を一身に浴びて朗らかに笑うリムスレーアの幻が見えて、ぎゅっと固く眉根を寄せる。
『兄上!』
 弾むような声音が、脳裏にこだまする。小さな体で精一杯胸を張り、自明の理のように彼女は全面的な信頼を口にするのだ。
『兄上なら大丈夫、間違うはずが無い。兄上が選んだことなら、きっとそれは正しいことなのじゃろう。わらわが保証しても良いぞ!』
「……ありがとう、リム……」
 唇の端にかろうじて笑みらしきものを浮かべ、ティエンはそっと鏡に呟いた。
 都合のいい、記憶の再生だと自分でも分かっている。確かにリムスレーアはかつてそういったことがあるが、それは今のティエンに向けてではない。守るべき民を自ら殺めたティエンに、今でもリムスレーアが同じことを言ってくれるとは限らない。
 それでも、思い出の中の笑顔ひとつ……それだけで、自分を見失わずに住む。血の匂いに惑わされず、もう一度歩き出すことができる。きっと、これからも何度も迷うだろうけれど、道標は胸のうちに残されているから。
「……ごめんねリム。もう少しだけ、待ってて」
 揺れることはあっても、立ち止まることはない。いかなる犠牲を払ってでも、手の中に取り戻したいものがある。迷うたびに、何度でも誓い続ける。

(必ず、そこへ帰ってみせる)

[雑記]一息。

2007/10/10 水曜日

仕事がひと段落つき、パソコンのデータ移転などなど余分な仕事も一息ついて、ようやくほっとした御月ですおはようございます。

とりあえず生きていますのご報告のみ。更新等はまた後ほど。

…それにしても、あまりの更新のなさっぷりになんだか自分でめまいがしそーです。更新しやすいシステムに変えたというのになんてこったい…。