[小話]保護者の気苦労
2007/7/14 土曜日
どうにもこうにも居心地が悪くて、ザックは小さく身じろぎした。なんとなく手持ち無沙汰で、飲みかけだった麦酒をちろり飲んでみる。時間が経ち、少しぬるくなった麦酒はお世辞にも旨いとは言いにくいが、何もないよりは遥かにマシに思えた。ザックの周囲の空気はひどく重苦しく、さほど旨くない麦酒でも飲んで空気を動かさないと、そのうち窒息してしまいそうな気がしてしょうがない。
「……」
そろりと隣の様子を伺う。そこには深刻な表情でなにやら考え込んでいるらしいロディの姿があった。「相談がある」と切り出してからもうかなりの時間が経過しているが、その間微動だにしていないのは……流石というべきかなんというか。あんまりにも深刻な表情だから、いつもなら気配りは年長者の務めとばかりにそれとなく会話のきっかけを作るザックも、迂闊な口出しができず、ひたすらロディが言い出すのを待つしかない状況だった。せめて温くなった麦酒を飲み干し、新しい冷えたものを注文したいのだが、ロディの空気が深刻すぎて店員を呼ぶにも躊躇われる有様である。
「……」
小さく肩を叩かれたかと思うと、かたりとよく冷やされたジョッキ……それも、淡い琥珀色の麦酒が入ってるものがテーブルに置かれた。手品のような出現に、思わず顔を上げると、にっこり笑顔のエルミナと視線がぶつかる。どうやら、注文をしたいのに身動きできないザックの状況を、察してくれたらしい。
(ありがとな)
(どういたしまして)
僅かな目配せと口元の動きだけで、意思の疎通が成り立ってしまうのが面白い。ぐいっと温い麦酒を一気に飲み干し、テーブルに戻すと、彼女は空いたジョッキを持ってさっさと立ち去ってしまった。ザックとロディの間に深入りはしないといっているようにも見えるし、あるいは二度目の助けは無いと脅しているようにも見える。どちらにせよ可愛らしくて、自然に口元が緩んでくる。
彼女は……ひどく、優しい。表に出る気の強さやはっきりとした意志の強さから見落とされがちだが、彼女は本当は愚かなほどにやさしい。記憶を失っているにも関わらず……いや、だからこそか。変わらず垣間見える、分かりにくい優しさが懐かしく嬉しい。
そんなことを考えながら、新しい麦酒を飲もうとした瞬間。
「……ザックは、さ」
「うん?」
「エルミナさんを抱きたいって思ったこと、ある?」
――吹いた。
ぶふぉっ、という異音とともに、今まさに嚥下しようとしていた麦酒が凄まじい勢いで撒き散らされる。幸いなことに、他のテーブルにはかろうじて被害は及ばなかったようで、ザックに集められた酒場中の視線はすぐさま逸らされた。被害はテーブルの上にあった、酒のつまみとして注文していた木の実と、その量を大幅に減らしてしまったザックの麦酒だけのようだ。駆け寄ろうとしたエルミナを手で制し、布巾でテーブルを拭く。ああ、せっかくの麦酒がもったいない。
「お前、あのな……率直にも程があんだろが」
「ごめん」
隣という位置関係のおかげで、被害を免れたロディがしょんぼりと肩を落とす。素直に謝られるとそれ以上文句を言うのも大人気ないようで、かわりに溜息をひとつ、つく。
とりあえず。
(……酒持ってきてくれてる時じゃなくてよかった……)
こんな相談されているところを聞かれでもしたら、いろんな意味で大惨事は間違いない。
適当にテーブルに零された酒を拭いて、布巾をぽいっと投げ出す。麦酒の匂いが少しきつく残っていて、ロディが僅かに眉をひそめるが、これぐらいは自業自得として我慢してもらうしかない。
「……つかさー、何でそんな話になったんだ?」
「え?」
「どーせ問題は、お前と姫さんの間にあるんだろが」
「え、あ、うん……」
声を落として問いかける。先ほどセシリアたち女性陣は3人そろって外に出たから、話を本人に聞かれることもないが……さすがにこんな話、気恥ずかしくて小声でもなければやってられない。
そういえば、と思い出す。
最初に座ったときから、ロディの態度はどこかおかしくなかったか。目に見えて挙動不審になったのは、セシリアたちが店を出てからではあるけども、それまでも一応ぐるぐる考えてはいたのだろう
(随分とまぁ、可愛らしいことで)
半分呆れながら、今度こそ慎重に麦酒を飲む。麦酒に浸された木の実もとりあえず一緒に口の中に放り込む。味わいとしては微妙なものだが、どうせ胃の中に入れば一緒だろうということで気にしないことにする。
他人から見ればどれほど馬鹿馬鹿しくても、当人にとっては精一杯深刻なものだ。あるいは、年をとった今だからこそ、若くもがいていたかつての自分の姿を重ね合わせ、そんな風に思えるのかもしれない。今は無い氷の国でじたばたしていた昔の自分も、周りの人からは同じように見えていたのだろう。
「オレは、あんまり深刻になるほどじゃないと思うがねぇ……」
ロディもセシリアも。お互い伝え合ってはいないようだが、互いにとって互いが特別な相手というのはほぼ間違いない。本人たちが気づいているようには見えないが、少なくとも周りでみているザックからすれば、これほどあからさまなものも無い。相手の気持ちが分からない「片思い」ならさておき、これはどちらにとっても勝ちの見えている勝負なのだから、さっさと伝えて関係をはっきりさせてしまえばいいのに、と見ていてじれったくなる。
「ちゃっちゃと伝えてぱっぱと進めりゃいいじゃねえか」
「そんな……!」
小さくあがった抗議の声を無視して、ザックは麦酒を呷る。
言い方こそいささか露悪的だが、内容自体はさほど見当違いというわけではない。ザックとて枯れたというには程遠い年齢だから、「精神的に結ばれたらそこが最終地点」などとロディに言えるわけもない。わが身を省みたら、それこそ戯言だ。むやみやたらと本能に身を任せるのは獣の所業だが、結局のところ人間が肉の器におさまる異常、精神と身体の両方を満たしたいと望むのは、当然のことだとザックは認識している。
とはいえ、相手が悪いと言えなくも、無い。
「相手は姫さんだからなぁ、ぱっぱと進めるのは難しいかもな」
「そうかもしれないけど……」
セシリアには、育ちのせいかもともとの性格か、どこか浮世離れした清潔さがある。修道院などという、年頃の少女の集団の中で生活していたのであれば、もう少し耳年増なところがあってもおかしくはないのだが、不思議とセシリアはそうした素振りを見せない。むしろ、彼女より年下のジェーンのほうが、その点については大人びた態度を見せるぐらいだ。
セシリアは、守護獣の巫女だ。そして、歴史を紐解くまでも無く、巫女には「侵食されていない清らかさ」が必要とされている。公女という立場にあるセシリアにとっては、色恋ですら政治的な意味合いを帯びるため、「大公家に代々伝わる閨房術」なんてものがあっても不思議ではないとザックは勝手に思っているが……仮にそんなものがあったとしても、セシリアはそれらの知識と、「ロディと自分の間柄」という現実的な問題とを結びつけるなど考えも及ばないに違いない。あるいは、巫女としての自意識が、無意識のうちにそうした「穢れ」を忌避しているのかもしれない。
もっとも、これらの推測はザックの主観によるもので、それが真実とは限らないのだけれど。
「ま、姫さんだってお人形さんじゃないんだからよ。ちょっとずつでもやりゃあ、随分と変わってくんじゃねぇの?」
「そうかもしれないけど」
無難で真っ当なだけに幾分適当ともとれる助言に、ロディは同じ言葉を繰り返した。前半の納得よりも最後の否定のほうが強い響きに、ザックはかすかに首をかしげる。
ロディもセシリアも、どちらかというとおとなしく晩生で、恋愛に対してあまり積極的ではない。もちろん、恋愛に限らず物事にはタイミングとか勢いとか成り行きとか物の弾みなんてものがあるから、互いに目だった行動を起こさずとも変化していくことだって、ある。けれども現状に満足せず変化を願うのであれば、手を拱いていたって仕方が無い。ただ眺めているだけでは、何も変わらない。
ザックはてっきり、ロディの方からセシリアとの関係を少しずつ進めたいのだとばかり、思っていたのだが。
「すまん、姫さんのほうから近寄ってもらうにはどうしたらいいか、ってな話だったのか?」
「違う、そうじゃなくて」
幾分強い口調で、ロディはザックの軽口を遮った。痛みを堪えるかのように、ぎゅっと眉根を寄せる。
「……ザックの話も、わかってるんだ。普通なら、それがいいんだと、思う」
ならばなぜ、と問うよりも先に、ロディがぽつり答えた。
「けど……俺は、『ニンゲン』じゃないから」
「……」
忘れていた、といえば少し違う。けれどロディの『正体』が発覚し、そして復活を遂げて以来、それらの話はあまり交わされることがなかった。ロディの気持ちを慮ってというのもあるが、ロディが「ロディ」であることがあまりにも当たり前だったから、ザックの意識からすぽんと抜け落ちていたのだ。
『ホムンクルス』という事実を受け止め、飲み込んだとしても……ロディはまだ未完成な『少年』だ。揺れることも迷うこともあるだろうし、ましてやそれが自分ひとりだけの話ではなく、相手もいる話ともなれば、踏み出すのを躊躇うのも仕方の無いことかもしれない。あるいは、若さゆえの青い衝動に身を任せられるほど柔軟な思考の持ち主だったら、もう少し楽だっただろう。良くも悪くもロディは生真面目にすぎる。それ自体は決して「欠点」とはいえないが、今はどうも悪いほうに作用しているように見え、小さな苛立ちが沸き起こる。
「けど、そいつはただの、逃げるための言い訳だろ」
「ザック……!」
切り捨てる言葉に、ロディがはっと顔を上げる。柘榴石の双眸にやや非難めいた光が宿っているのは、普段のザックらしからぬ物言いに驚いているからかもしれない。もっとも、自分の発言に一番驚いているのは、ほかならぬ自分だったりするのだが。
本来ならば、自分が口を挟む筋合いなど、まったく無い。ロディがセシリアを一方的に手ひどく捨てるならさておき……否、それだって、二人だけの問題にすぎない。ましてや現時点では、彼らはまだ始まってさえいない。今ここで互いの道が離れていったとしても、淡く甘い過去の思い出としてのみ思い返す日は、遠からず来るだろう。
今なら「その程度」だ。そしてロディが何もしないと決めたのなら、それはそれでロディの決断なのだ。
……そこまで分かっていながら、それでも口を出さずにはいられないのは、自分のエゴだろう。
「お前が何だろうと誰だろうと、判断するのはお前じゃなくて姫さんだ。姫さんが受け入れると決めたなら、それでいいんじゃねぇの? どうするかは姫さんが考えることだとオレは思うがね」
「けど、セシリアは優しいから。断れない、かもしれない」
「馬鹿か。そんな簡単なもんじゃねぇだろうが。同情だけで頷けるほど、姫さんの立場だって軽くはないんだぞ」
「……」
すっかりうなだれてしまったロディの様子に、幼い子供を苛めてしまったかのような罪悪感が沸き起こる。ロディの、人を思いやれる優しさは確かに長所だろうけれど、それにとらわれて自分が動けなくなっていれば世話は無いだろう。はぁ、と溜息が零れ落ちる。
「……ま、お前が決めたことなら、オレとしては何も言えんよ。ただ……」
ふっと息をついて、ロディをまっすぐ見据える。ザックの声音が変わったことに気づいたらしく、応じるようにロディもザックを見返す。ぴりりと緊張感が走った。
これこそ余計なお節介だと分かっている。言ってはならない、自分が言うべき事柄ではない。それでも。
「中途半端に、姫さんには近づくな。姫さんに近づかないと決めたなら、絶対に何も言うな、言われても受け入れるな。匂わせるな。感づかれるようなこともするな。その代わり近づくのなら、姫さんの傍にずっといる覚悟を決めろ。でなければ……姫さんが苦しむだけだ」
「ザック……?」
ロディの困惑に答えず、ザックは残っていた麦酒を一息に飲み干した。発した言葉の苦さもあいまって、冷たさを失いかけていた麦酒が、舌の上にどうしようもないえぐみを残して喉を滑り落ちる。
脳裏によみがえるのは、セシリアの切ない微笑だ。
『……皆さんには、内緒にしていてくださいね?』
セシリアは公女だ。それも、ただ一人残された。他に兄弟姉妹がいればまったく話は違ってきただろうが、公王ユリウスの子はセシリアただひとりだ。王族・貴族にありがちな、「血を継ぐ者を残す」義務は、今やセシリアひとりに委ねられている。口止めされた以上ロディに教えるつもりはないが、セシリアがアーデルハイドに顔を出すたびに……それどころか旅先にまで、婚約者候補の情報が送られてきていることを、ザックは偶然知ってしまった。
ロディに、セシリアの生涯を共にすると言い切れるほどの強い気持ちが無いのなら、すっぱり諦めて「思い出」にしてしまうのがいい。中途半端な恋情や優しさでは、セシリアを余計に惑わせるだけだ。
どちらにせよ必要なのは『覚悟』だ。それは「決して揺らがない、強い気持ち」と言い換えてもいい。ロディもセシリアも背負っているものはあまりにも大きくて、年頃の少年少女が持つような、甘くふわふわした気持ちだけでどうにかなるものではないのだから。
「ま、別に今すぐ答えを出せってわけでもないわな。もうちょっとよく考えてみたらどうだ?」
「……うん」
「それに案外、原点に戻ったらはっきりするかもしれんし?」
「原点?」
小首をかしげるロディに、ザックはにやりと笑ってみせる。
「『姫さんを』抱きたいのか、誰か『女を』抱きたいのか、それだけでもじっくり考えてみたらどうだ?」
「ザック!」
自分から持ち出した話題のくせに、言われるのは恥ずかしいらしい。顔を真っ赤にしたロディにもう一度笑って見せてから、手を上げてエルミナを呼ぶ。はいはいちょっと待っててねー、とエルミナの返事に頷いてから、ザックはちらりロディのほうに視線を向けた。
耳の先まで赤くして、ぐるぐると考え込んでいる姿は、年齢相応に見えて非常に面白い。おそらくロディの脳内では、ザックの言葉に素直に従って、セシリアのあーんな姿やこーんな姿が展開されているに違いない。誰でもいい、女を抱きたいだけであれば普通こんなには悩まない、ということに早く気づけば、答えなんて簡単に出そうだとも思うが、それをわざわざ教えなくてもいいだろう。まぁ人間なんて悩んで大きくなるものだし、と無責任に納得して、ザックは止めを刺すべく、ロディの方に顔を寄せて声をひそめてみせた。
「……今度、相談するときはもうちょっと具体的に頼むな」
「ぐ、具体的って……?」
「どうすれば悦ばせることができるか、とかー。女って面倒なイキモノだからな。シチュエーションとかテクニックとか、練習するわけにはいかねぇけど、知ってたらずいぶんと得することってあるはずだぜ?」
「……ッ!!」
機能停止に陥ってそうなほど動揺するロディを愉快げに見やって、ザックはふっと息をつく。
ロディもセシリアも……自分とエルミナも。未来は変えられるだろうけれど、過去は変えられない。すでに負ってしまったものを、放り出すことなどいまさらできやしないのだ。真剣に考えるのが悪いとまでは言わないが、どうせ考えても袋小路にはまり込むだけなのだとしたら、笑い飛ばしてしまったほうが気持ちは楽になる。精神的に余裕ができれば、判断を誤ることは少なくなるはずだ。
誰もが幸せになる道なんて、無いのかもしれない。それでも彼らは、過つことなく、幸せになる道を選んでほしい、そう願ってやまない。
(……暫く面白いことになりそうだなー)
本音は心にしまっておこう。