[小話]不等号な感情
2007/5/27 日曜日
ふ、と。
注意していたはずなのに、何時の間にやら溜息をついていた自分に気付き、ロディは微かに眉をしかめた。
案の定。
「……」
ちらりと向けられたセシリアの双眸には、心配そうな光が宿っていて、ちくりと胸が痛む。ロディから少し離れたテーブルで、ジェーンとエマ、3人で楽しく話をしていたようだったが、自分のちょっとした動きに反応したのだろう。周囲の賑やかさもあり、溜息どころか話し声さえ明瞭に聞こえない距離だというのに、ロディの様子に気付いたということは、それだけ自分のことを気にかけてくれているという証のようにも思える。面と向かって確認はしていないし、もちろん自惚れに過ぎない可能性もあるが……少なくともロディは、そう受け止めている。
だからこそ……ひどく、苦しい。
(『俺は大丈夫』)
つとめていつも通りの笑みを向けると、セシリアの頬がうっすら桜色に染まり、柔らかく視線がそらされた。慎ましく可愛らしい反応はロディの予想通りで、余計に自分との差異を思い知らされるようだった。再び溜息なんかついてセシリアを心配させないよう、注意深く視線を彼女から引き剥がす。
(俺ならきっと、満足できない)
確信めいた想いが沸き起こり、苦々しさにそっと唇を噛み締める。
自分ならきっと、セシリアの微笑みだけでは満足できないだろう。声を聞いて、視線を交わして、指先を触れ合って……吐息さえも溶け合わせて。ひとつ望みを叶えたならまたその次、その次と、どこまでも願いは膨らんでいき、際限なく望み続けてしまうに違いない。
「お、待たせたな、ロディ」
「……ザック……」
声の方を振り仰ぐと、そこには金髪の剣士が立っていた。まだ陽は落ちていないというのに、手にしたジョッキには麦酒が縁いっぱいまで満たされている。やや咎める響きのロディの声音に気付いたのだろう、隣に腰を下ろしながら、ザックが言い訳がましく笑う。
「ほらまぁ、今日ぐらいはな」
「……俺に言われても困るけど」
苦笑で答え、自分のグラスを軽く持ち上げた。ロディの持つグラスに満たされているのはもちろん、酒ではなく、果実を炭酸水で割ったものである。
「守護獣の恩恵に」
「麗しの水の都に」
「――乾杯」
かちんとグラスを合わせてから、二人同時に口をつける。ロディは一口飲んですぐにグラスをテーブルに戻したが、ザックのほうは違った。そのままごくごくと喉を鳴らし、飲み続ける。残り半分といったところでようやく口を離したザックが、小さく感嘆の声を上げた。
「……っかー、たまんねぇなー」
「そういうものなの?」
「はっはっは、ロディにはまだ分かんねぇか。なんかなー、これがないと『街に居る』って実感が沸かないんだよな」
「うーん、そっちならなんとなく分かるかもしれない」
どれほど旅慣れた渡り鳥といえど、荒野を渡っている最中はずっと、少なくない緊張を強いられている。それは一人であろうと、ロディたちのように複数で旅をしていようと、関係はない。食事の時も仲間と居るときも、眠っているときでさえも、常に薄絹一枚ほどの緊張を身に纏っている。広い荒野では何が起こるが分からないものだし――最終的に自分を助けられるのは自分だけだからだ。それは仲間を信用する・しないという話とはまったく別の次元の問題だ。
けれど、街の中は、違う。渡り鳥が本当に緊張を解き、安心して寛げるのは、街の中に居るときだけなのだ。
だからこそ、ザックは酒を飲むのだろう。酒好きを公言して憚らないザックではあるが、街に居るとき以外は好物であるはずの酒を一滴たりと口にしないことを、ロディは知っている。
「……あれ、ゼットは?」
「あいつなら外でガキ共と遊んでんじゃねぇか?」
姿を見せない残り一人の居場所を尋ねてみると、そっけない答えが返ってきた。
「ああ……子供に人気あるよね、ゼットって」
「何がそんなにいいのかは知らねぇが……格好よさならオレ様のほうが上のはずなんだがな」
残り半分をあっさり飲み干し、早くもおかわりの体勢に入ったザックに苦笑を返し、ロディは小さく吐息をついた。
自称『お茶の間のアイドル』であるところのゼットは、他のメンバーの予想以上に子供――それも小さな男の子に懐かれやすいようだった。分かりやすい『ヒーロー』に憧れる年頃の少年たちにとって、何かとオーバーな言動のゼットは、一番分かりやすく馴染みやすいのかもしれない。もっとも、ザックに言わせると、「頭の中の年齢が同じくらいだから合うんじゃねぇの?」ということになるのだが。
「なんだ? アイツに話でもあったのか?」
「話ってほど大げさなものじゃないんだけど……ちょっと、聞いてみたいことがあって」
「ふうん……」
早速運ばれてきた2杯目の麦酒に口をつけながら、ザックが短く唸った。気のなさそうな返答とは裏腹に、その両眼にはきらきらと好奇心が光っている。口を滑らせた、と思ったがもう遅い。
「その話、アイツじゃないとダメなものなのか?」
「……う~ん、なんていうか、その……」
『ゼットに聞いてみたいこと』というのは、単純にアウラとのことである。人間と、人間でないものが好意を育んでいることについて、聞いてみたかっただけだ。それだけなら別にザックに話しても問題はないだろうが、そこに至る周辺事情というかロディの感情まで聞き出されると、非常に困ったことになる。
ザックは良い方にいえば、セシリアとはまた違った形でお節介焼きで、年長者らしく面倒見がいい。軽口にまぎれて本音を聞きだすのがやたらと上手く……ロディも、自分の中に上手く消化できないもやもやが蟠っていたときに、ザックから上手に誘導され、話しているうちに自分なりに整理ができてすっきりした事が何度もある。
とはいえ、さすがに今回ばかりは話すわけにはいかない。どちらかというと生々しい話で、ロディ自身口にするのが躊躇われる上に、今はもう片方の当事者ともいえるセシリアが、同じ場所に居る。話の内容を聞かれる心配もないだろうが……万が一、欠片でも耳に入ってしまったなら、気まずいことこの上ない。いや、気まずいだけならまだしも、最悪の場合、嫌われてしまうことだって、あるかもしれない。
(セシリアは……『清らか』だから)
女の子は耳年増とは世間一般では言われるけれど、セシリアにはそれは当てはまらないだろう。
セシリアはアーデルハイドの公女で、姫巫女で。対する自分といえば、一介の渡り鳥で……おまけに人間ですらなくて。魔族の亜種と言えなくもない、兵器として生み出されたはずの自分が、セシリアに想いを寄せること自体、滑稽だと自分では思ってしまう。
ましてや――『抱きたい』、だなんて。
本来ならばそれは、生命を次代へと繋ぐための、神聖な営みのはずだ。それを、自然な意味での『生命』ではない自分が望むのは、ただ欲望に忠実なだけでひどく穢れた存在のようにさえ思えてしまう。
「……ま、何だ。オレでよければ、いつでも話聞くからな」
「うん、ありがと」
よほど深刻な気配でも滲み出ていたのか。普段なら詳しく話を聞きだそうとするザックが、珍しくあっさりと引いてくれた。素直に感謝を述べて、少しだけ視線を落とす。
好き、という気持ちに偽りは微塵もない。そしてセシリアも自分に好意を抱いてくれている。
言葉にすると同じなのに、そこに込められた意味合いも重さも、望みも互いの立場も何もかも、違いすぎてて……重ならない。
「……」
ぐっと果実水を一口飲む。溜息を飲み込んだ分だけ、やけに苦いように感じた。