[小話]花盗人の罪
2007/4/29 日曜日
本来は必要が無いことだとは思っていても、心情として割り切れないものというのはある。それは、ヒューゴだけでなくルイスも分かっているからこそ、わざわざ呼び出しに応じてくれたのだろう。ゼクセン騎士団を率いた清冽なカリスマが消えようとしている今、事情を知る数少ない者達はかつてない慌しさに追われている。その中でも一番小回りのきくルイスは、生来からの細やかな心配りで動き回り、目まぐるしい日々を過ごしているはずだった。こうしてヒューゴと向かい立つ時間すら、惜しいに違いない。
「……ごめんね」
「いえ、僕はまだそんなに忙しくなかったですし」
穏やかな笑みを浮かべて、ルイスが柔らかくかぶりを振る。事情を知らないものが見れば、その中に疲労と心労と寝不足とが押し隠されていることに気づかないだろう。なんだかんだとルイスとは付き合いがそれなりにあるヒューゴですら、クリスから聞いていなければ気づかなかったほどの、完璧な物腰である。背も伸び、立派な騎士となった現在のルイスは、今は騎士団から退いたパーシヴァルを思わせる丁寧さで、若い女性の視線を一身に浴びているのだとか。
音も無く渡る風が、二人の髪を静かに揺らしてゆく。春を間近に控えた風は、暖かく柔らかい。日一日と、滑り落ちる砂時計の一粒ごとに冬の気配は薄れ、いたるところで生命の息吹が感じられる。
もうじき、春。ルイスとヒューゴ含め、さまざまなものが縁を結んだ『五行の紋章戦争』が終わり、4度目の春が目前に迫ろうとしている。
それはすなわち、クリスとヒューゴふたりで相談して定めた期限が迫っているということでもある。
決して、自分達の我侭だけで決めたわけではない。真なる紋章が不老の呪いを与える以上、定住など……それも、精霊への信仰厚いグラスランドならさておき、人外のものを排除するゼクセンでなど、不可能だと誰もが心のうちで諦めている。
それでも、ヒューゴはもう一度繰り返した。
「ごめんね」
「いえ」
「……クリスさんを攫っちゃって、ごめん」
「……ッ!」
それまで隙を窺わせない笑みを浮かべていたルイスの表情が、くしゃりとゆがんだ。
間もなく、『クリス・ライトフェロー』という人物はゼクセンから消える。それはもはや、関係者の中では確定となっていた。ルイスたちが今駆けずり回っているのも、その後少なからず起きるであろう混乱を、最小限で抑える準備のためだ。
もうじき。……もうじき、クリスはヒューゴとともに終着点の無い、長い長い旅へと出る。
「……わかっては、いるんです。ヒューゴさんがどんなにいい人で、クリス様もヒューゴさんじゃないとダメなんだって……」
「……うん」
「紋章の事を考えると、こうするしかないってのもわかっているんです」
「……うん」
「でも、……でも、僕は……!」
「……うん。ごめんね」
堪えきれない嗚咽を溢すルイスに、ヒューゴは短く応えた。慰めの言葉など、持っていない。謝りはするけど後悔はなく、何度繰り返したとしてもこの道しか選べないのだとふたりとも知っている以上、上っ面の慰めなど白々しいだけだ。潔いヒューゴの態度は、むしろ親友に対するヒューゴなりの誠意の表れともいえる。
ビュッデヒュッケ城でできた友人は多いが、その中でも、ルイスは特に仲が良かった。それは単純に年齢が同じだったというだけでなく、自分にないものを当たり前のように備えている美徳を、それぞれ認め合っていたこともあるだろう。ルイスにとってヒューゴの、率直で飾り気の無い素直さや英雄としての重責を担うその強さは憧れだったし、ヒューゴにとってルイスの嫌味でない丁寧さや優しさは羨ましかった。
ヒューゴにとっての『ルイス』は、それだけではない。クリスとの仲に、ゼクセン騎士団で一番早く気づいたのも、まだすべてのぎこちなさがゼクセン・グラスランドに残っているにも関わらず素直に祝福し応援してくれたのも、ルイスだった。ビュッデヒュッケ城で暮らしていたとき、常にクリスの傍らに控えていたルイスが協力してくれたからこそ、多くの困難を乗り越えてくることができた。
いつか、こんな日が来るとルイス自身覚悟はしていたはずだ。クリスとヒューゴを傍で見てきたルイスだから、ヒューゴの想いも……何よりクリスにとってヒューゴの存在が大事で必要としていることも、わかっている。
けれど、理解していても……置いていかれる寂しさと喪ってしまう哀しみは、残る。残ってしまう。そればかりはどうしようもない。
「ヒューゴさんに、反対するわけじゃないんです」
「うん」
「けど、クリス様は、僕にとってただ『お仕えする』だけの人ではなく……本当の姉のように、大事な方だから」
「うん」
「だから……」
ぐ、と噛み締めたルイスが、まっすぐにヒューゴを見る。殺意も怒気も含まれていない、けれど鋭いまなざしに、ヒューゴの表情も自然と引き締まる。
「……だから、約束してください。クリス様を、決して裏切らないと」
もしヒューゴに出会わなければ、クリスはもっとずっと長く、騎士団にとどまっていただろう。真なる紋章を宿していたとしても関係は無い。結婚し、子供をもうけ、騎士団から退いたとしても、結局は後進の指導やらなにやらと、騎士団と関わり続けていたはずだ。クリスにとって騎士団こそが残された『家族』であり『帰るところ』であり、それは騎士団の皆にとってもそうだっただろうから。
異形を赦さない石の街だけれど、そんな街だからこそ、駆け引きや妥協や裏取引なんかが成立しやすい部分もある。クリスひとりだけならば、評議会と何らかの取引をし、ずっとずっとゼクセンで生きることもできたはずなのだ。
「……約束、するよ」
ひとことずつ、真剣な覚悟が伝わるようはっきりと、ヒューゴは告げる。
その誓いはルイスとだけのものではなく、クリスの『家族』全員への誓いでもあるのだ。それだけ愛されていたクリスを、自分はゼクセンから引き離す……その罪は、決して軽くは無い。それでも、手を離すことなどできやしないのだ。
「俺は、クリスさんを裏切ったりはしない」
幸せにする、とはいえない。ふたりの身に宿る力は大きく、どんな災難を呼び込むか分からない。ともに居る喜びだけでなく、辛いこともあるだろうし、長い長い道のりのどこかで引き離されることだってあるかもしれない。
それでも、何時だって気持ちはクリスを向いている。それだけは、揺らぐことは無い。
何かを確かめるように、じっとルイスがヒューゴを見据える。その視線を臆することなく、ヒューゴも受け止め、真正面から見つめ返す。
ややあって、ふっとルイスが表情を緩めた。まだかすかに涙が残る眦を、乱暴に手の甲で拭って小さく笑う。
「……本当は、騎士団を代表して一発殴ってこいって言われてたんですけど、やめておきますね。僕がクリス様に怒られてしまう」
「いや、クリスさんは怒らないとは思うけど……ちなみにソレ言ったの誰?」
「レオ殿ですよ。あの方はクリス様にとって父親代わりのような方でしたし、レオ殿にとっても娘のようだったそうですから」
「……本人がいなくて良かった……」
厳つい外見に反して、甘いものが好きで子供に優しい騎士の姿を思い出し、ヒューゴはぶるりと身体を震わせた。大きな斧を軽々と扱う彼に殴られでもすれば、多少の手加減などなんのその、ちょっと洒落ではすまない事態になるに違いない。ヒューゴも毎日地道に身体を鍛えてはいるのだが、真なる炎の紋章のせいだろうか、一向に身長が伸びる気配は見えないし、筋肉も努力したほどつきそうにない。大柄なレオとは、文字通り大人と子供の体格差がある。
「そのかわり……また、クリス様と一緒に、ゼクセンへ顔を見せに戻ってきてくださいね」
「そうだなぁ、十年ぐらいしたらいいかもね」
いくらクリスとヒューゴがそれぞれ目立ちやすい容貌をしているとはいえ、十年も経てば人々の記憶からかなり薄れる。すぐには無理だろうけど、それほどの時間が経ったら、無用の混乱を招かずにすむに違いない。
その頃はまだルイスは騎士団に残っているのだろうか。もしかしたら他の知り合いもいるのかもしれない。十年なんてまだまだ先の話で、確定した未来なんて何一つないけれど。
「お土産話を、いっぱい持ってくよ。クリスさんとふたりで」
「はい。……楽しみに、していますから」
花盗人の罪がそれぐらいで赦されるとは思わない。けれど、ともに居ることでクリスが……そしてヒューゴも、互いに少しでも救われるのなら、きっとそれが多少なりとも贖いになるのだろう。
幸せに。それがルイスたちの願いでもあるのだから。
「じゃあ……またね」
「ヒューゴさんもお元気で。クリス様をよろしくお願いします」
『さよなら』は言わない。必ずまた会いに来るのだから、再会を約する言葉だけでいい。
深々と頭を下げるルイスに背を向けて、ヒューゴは歩き出す。春の嵐はもう、すぐそこまで来ていた。