[小話]他言無用

2006/9/21 木曜日

「どうかお引取りを」
 柔らかく穏やかに、表面上はどこまでも友好的な姿勢を貫いての言葉に、返ってきたのは険しさを多分に含んだ眼差しだった。ぎゅっと引き絞られた口許はかたくなな意思を表しているようで、なかなかに素直で手ごわそうに見える。
 それでも、パーシヴァルは笑みを絶やさず、もう一度繰り返した。
「クリス様は、今は大変にお忙しいのです。どうかお引取りを」
「……」
 言葉こそは無いが、緑柱石の双眸は何よりも雄弁に、少年の内心を物語っていた。愛する人に会いたいというのは自然な心の発露だろうし、邪魔をするパーシヴァルの存在が心底うとましいに違いない。同僚の『烈火の騎士』とはまた異なるその素直さは、平素から「他者の目に映る自分」を意識し生きている自分にとって、不可解であり強烈な魅力でもあった。クリスに対する敬意はいささかも衰えないが、それとはまた違った敬意を彼にも払っている。だからこそ、まだ幼いとさえいえる異民族の少年が英雄としてまつりあげられることに対し何の異論も挟まないし、事実それだけの力があると信じている。
 普段ならば、若い英雄のためにパーシヴァルは協力を惜しまない。いくつかの遺恨はあるけれども、それはそれ・これはこれと割り切るだけの強かさも備えているし、何よりもヒューゴはクリスにとって「大事な」人間だ。恋人という意味でも……「同じ生き物」としても。
 けれど、今回ばかりは事情が違った。
「では、私も忙しいので。これで失礼します」
「クリスさんは……!」
 扉を閉める寸前、引き止めるように放たれた小さな叫びは、本当にクリスの身を案じてのことだろう。
 デートと呼ぶにはささやか過ぎるお茶会の約束が、反故にされるのはこれが初めてのことではない。クリスもヒューゴも、それぞれ多忙な身であるし、戦況などというものは相手の出方や状況によって幾らでも変化する。けれど、「約束を破る」ということを、クリスが自身で告げに行かないのは、これが初めてだった。だからこそ、多忙ではなく体調が原因ではないか、とヒューゴが心配するのも、不思議ではない。そうしたヒューゴの心の動きはよく分かるし、応えてやりたいのも山々だが……他ならぬクリスが他言無用と命じたことを、パーシヴァルは断じて口にするわけにはいかなかった。
「……申し訳ありませんが、お引取りを」
 女性ならば蕩けてしまいそうな優美な笑みを浮かべ、洗練された仕草で軽く頭を下げたパーシヴァルは、反論の声が上がる前にするりと扉を閉ざした。すかさず、かちりと鍵をかける。ビュッデヒュッケ城は古く建てつけが悪いため、鍵に意味があるのかないのか微妙なところではあるが、さすがに扉を蹴破って入ってくることはないだろう。何とか追い返せたことに、ほっと息をついた刹那、部屋の奥から小さく掠れた声が上がった。
「……帰った、か……?」
「えぇ、何とか。随分と睨まれてしまいましたが」
「そうか……」
 机の脇においてあるソファの上に、ぐったりと横たわったまま、クリスが力なく呟いた。天井を見上げるその眼差しに普段の力は無く、焦点すら合っていないように見えた。秀でた額にびっしりと汗を浮かべ、顔色は白皙を通り越して紙の様に白い。青ざめた唇がわずかに動き、溜息のような囁きが零れ落ちた。
「……お前にも、悪いことを頼んだな……」
「お気になさらず。それよりも……本当に、あまり無理はなさらないでください」
 書類を届けに部屋に入ったときに、パーシヴァルを迎えようと立ち上がり……崩れ落ちたクリスを見たときは、本当にぞっとした。おそらく過労からくる貧血なのだろうけれど、それにしたって心臓に悪い。騎士である以上死に直面することは多く、自分自身が死ぬことはそんなに怖くもないのだが、もっとも死から縁遠そうなクリスの有様は、パーシヴァルの肝を心底冷やした。
「……そういえば、以前も似たようなことがありましたね」
「そうだったか……?」
「えぇ、ルイスと一緒に、ブラス城からビネ・デル・ゼクセへ向かうときに。そういう意味ではクリス様は初犯ではなく、これで前科2犯ということになりますから……以後は身を謹んでくださいね」
 あまり真剣に言うと今後「ごまかす」などという方向性で努力しかねない人だから、軽口の中に紛らわせて、そう告げる。緩やかに頷くクリスがどこまで本気で生活を改めてくれるか怪しいものだと思いながら、パーシヴァルはクリスの机の上から持っていくべき書類をより分けた。ついでに、自分が持ってきた書類もその上に乗せる。幾らクリスが大丈夫だと主張しようと、今日ばかりはゆっくり休んでもらわなければならない。
「それにしても……なぜヒューゴ殿には内緒に?」
「……心配を、させるだろう……?」
「ヒューゴ殿は心配したいのだと思いますけどね」
 自分が同じように隠し事をされれば、きっと烈火のごとく怒るのだろう。なぜもっと頼ってくれない、無茶をするな、こうなる前に相談しろ……散々説教がましく口にして、最後に「心配したんだぞ」と本音をこぼすその様を、現実の思い出のように脳裏に描くことができる。そしてその推測は間違っていないはずだ。
 にもかかわらず、彼女はその「怒られる」行動を彼女自身、まったく悪気無く心底それが正しいと思ってやってのけるのだから、まったくたちが悪いというかなんというか。
「私が居てはクリス様もごゆっくりできないでしょうから、そろそろ退散しますが……本当に、休んでくださいね」
「どうせ、この調子じゃ動けやしないさ。ありがとう」
「いえ、大したことはしていませんし……それにきっと、後で怒られてしまいますからね」
 真意が曖昧なパーシヴァルの言葉にクリスが小さく眉を寄せるが、パーシヴァルは補足の言葉は紡がなかった。纏めた書類の束を手に、扉へと向かったパーシヴァルだったが、鍵をはずす直前にくるり振り返る。
「……クリス様、林檎と葡萄でしたら、どちらがお好きですか?」
「林檎、かな……?」
「そうですか。では失礼します」
 貧血で思考がどこかぼやけているのだろう。問われるがままに素直に応えるクリスの声に、再び笑みを浮かべて、パーシヴァルは今度こそ扉の鍵をはずした。歩き出した先は、書類の届け先であるサロメのもとではなく……食堂である。
(……俺も随分とお節介焼きになったものだ……)
 知らず苦笑がこぼれるが、決して不愉快ではない。
 確かに他言無用と命じられたし、それを破るつもりもない。それでも、あの少年は聡いから。林檎のゼリー二人分を手渡し、「クリス様は林檎がお好きなようですよ」とでも囁けば、きっと意図を理解してくれるだろう。素直に喜びを表し、素直にクリスのもとへ戻っていくに違いない。
 何かとお節介をやきたくなるような、二人の間が歯がゆいのか……それとも、自分が甘くなったのか。どちらにしても構わないか、と再び笑みを浮かべて、パーシヴァルは食堂へ向かう足を速めたのだった。