[小話]滄海成桑田

2006/9/18 月曜日

 ぱちん、と庭の方で鳴る鋏の音に、私は小さく目を伏せました。ぱちん、ぱちん、と続けて音が鳴ります。おそらく庭で、息子が薔薇の手入れをしているのでしょう。切り取った薔薇を邸内に生けたところで、見るものはほとんどおりませんが、それでも…もはや身についた性なのでしょう。そしてそれは、私も変わりません。私の主人にあたる方はほとんどこのお屋敷には居らず、旅から帰ってこられるのはごくごく稀なのです。
 私の生き方というものは、余人から見れば退屈でつまらないものとよく受け取られます。事実私も、若い頃は今の私と同じように毎日黙々とお屋敷で働いていた父の姿を、内心馬鹿にしていましたし、同じような轍は踏むまいと反発もしていました。ところが、何時の間にやら父の跡を継ぎ同じように生活しているのだから人生というものは不思議なものです。ひとつには父の言い聞かせもあったのかもしれませんが、父にこれだけの思いを向けさせるものに対して、興味があったこともひとつでしょう。
 今は亡き私の父と、跡を継いだ私と家族は、とあるお屋敷に勤めさせていただいております。主の家といいますのは、このゼクセンでも大層な旧家でございまして、今ではかなり珍しい「貴族」の家柄でございます。もちろん今のゼクセンにおいて「貴族」とはほぼ名ばかりになっておりまして、商人のギルドが政治の実権を握って久しい昨今、家柄よりも財力が物を言う時代になっております。ですから、隆盛著しい成り上がり者に身売りすることなく、細々と「貴族」であり続ける主家と、それにお仕えし続ける私の存在は、時代の流れからすれば取り残された遺物にすがり続けるものと見えるのかもしれません。
 けれども、私はそれはそれで良いのではないかと思うのです。少しぐらいは私のように、伝統にこだわり続ける者が居ても、世間の迷惑になるものでもありません。ましてや…新しいものを否定するわけではありませんが、常に移ろい変わり行く街並みと人々は、私のお仕えするお嬢様にとってはいささか辛いもののように思えたのです。何時お帰りになっても変わらずお迎えすることで、お嬢様の安らぎになれれば…私は、そう思うのです。幸いといっては何ですが、私の考えに家族も同意してくれまして、私と妻と息子・娘と4人、敷地の離れにある小さな建物に住み、いつかお嬢様がお帰りになられるその日を心待ちにしながら、邸内を整え続けているのです。

 

「父さん」
 いつの間にか庭から戻ってきた息子の声に、私は壷を磨いていた手を止め、はっと顔を上げました。うっかり落としてしまわないよう、台の上に慎重な手つきで壷を戻してから振り向きます。何しろ由緒あるお屋敷ですから、飾っている壷や絵画など調度品には歴史と価値があるものが多いということもありますが……何よりもお嬢様にとっては「我が家」を構成する大事な一部でもあります。もちろんお嬢様は優しい方ですから、「たいしたことじゃない」と笑い飛ばされるでしょうが、大事なお嬢様にそんな心遣いをさせるわけにはいきません。
 振り向いた先には、私と同じ服に身を包んだ息子が立っていました。両手にはいっぱいの薔薇を抱えており、漂ってくる馥郁たる香りはなんとはなく心を華やかにさせます。
「今日はこれにしようと思うんだけど、いいかな?」
「それは君に任せてあるから、好きにしなさい。それにしても……」
 ほんの少しだけ笑みを浮かべて、私はその薔薇を見つめました。まだ咲ききっていない薔薇は、清楚で潔癖な少女を連想させるような可憐さがあり、お嬢様を思い出させる空気を漂わせています。
 今は亡き先代の奥様はこよなく花を愛された方でした。お体が弱く、屋敷からあまり外に出られない代わりにご自分で庭園を整えられ、多くの花々が競うように乱れ咲く庭は、私も内心自慢に思っていたものです。奥様がなくなられた後、お嬢様は少々(ええ、少々ですとも!)手先が器用ではなく、ご自分で手入れをして枯らすよりは、と私たちを信頼して手入れをお任せくださいました。中でも一番気にかけていらっしゃったのは、ちょうど息子が手にしている薔薇でした。これは、奥様がお嬢様のために、と特に丹念に育てていらっしゃったものなのです。
「……そうですか、君もですか」
 何時に無くうきうきと献立を考える妻の姿を思い起こして、私は小さく笑いました。どうやらこの「予感」は私だけではなく、家族全員が感じ取っているようでした。お嬢様は長く長く旅をしておられて、何時このお屋敷に帰ってこられるかはまったく不定期で分からないのですが……なんとなく、私も今日帰ってこられるような、そんな予感がするのです。
 ふふ、と共犯者の笑みを浮かべて、息子は満足そうにきびすを返しました。せっかくの薔薇をどこへ一番に飾るか、もう決めてあるのでしょう。
「…では、私も頑張らなければなりませんね」
 そうひとりごちて、私は壷磨きを一時中断して玄関へと向かうことにしました。お嬢様はお酒よりもお茶を好んで飲まれる方でして、邸内にお茶を切らしたことはありませんが、どうせならば少し珍しい種類のものなど各種取り揃えたほうが良いでしょう。大陸のあちこちを旅されるお嬢様ですから、ゼクセンでは珍しくてもその地では珍しくないなんてことは多くあるでしょうが、やはり同じ種類だとしても、旅先で飲むのとお屋敷で落ち着いて飲むのとでは味わいもまた変わるに違いありません。
 ゼクセンで茶葉を扱う店をどのように回るか、脳裏で計画を練りながら玄関を出ます。整えられた庭を横切り、お屋敷の門を押し開こうとした刹那、ちょうどその前に立って感慨深げにお屋敷を見上げている方とふと目が合いました。驚いたように紫水晶の瞳が大きく丸くなり、ついで柔らかく細められます。さらりと揺れる銀の髪も、陽にあたっているにもかかわらず白いほっそりとしたお顔も、前回……3年前にお会いしたときとまったく変わっておられないようでした。
「……びっくりした…」
「そうですか? 私たちはちょうど今日、帰ってこられるような気がしておりましたよ?」
「凄いな!」
 ふわりと綻ぶその笑顔は、子供の頃と同じあどけなさを残しておられるようでした。初めてお会いした頃からもう数十年の時がたっているにもかかわらず、お嬢様の変わらぬご様子に、私は嬉しいような悲しいような、なんともいえない気持ちを感じました。
 お嬢様が幼い頃、お嬢様は僭越ですが私を兄のように慕ってくださいました。しかし、今の私とお嬢様では父と娘にしか見られないでしょう。そしてさらに時間が経てば、祖父と孫娘のように他人からは見られるに違いありません。
 神の祝福と呪いとを身に受けたお嬢様は、時の流れから切り離されて永遠に「変わらず」あることを定められてしまっています。ですから余計に私たちは、お嬢様のために「変わらぬお屋敷」の姿と空気をとどめようと懸命なのです。
 私たちだけでは、お嬢様の安らぎには不十分かもしれません。けれども、お嬢様には「同じ方」がおられます。お嬢様と同じ祝福と呪いとを受け、お嬢様と同じ歩調で永遠を歩める方が。
「お久しぶりです、ヒューゴ様」
「えっと、俺には敬語はいいって前言ったけど…」
「そうも参りません、と私も前回申し上げましたよ?」
 前回も、その前も交わした毎度のやりとりに、ヒューゴ様は笑み崩れました。変わり行く世界の中で、変わらない場所と変わらないやり取りは、お嬢様やヒューゴ様にとっては貴重なものなのでしょう。ですから私も、何度その必要はないとお嬢様自身に制止されながらも、心からの敬意とほんの少しの様式美を持って、深々と頭を垂れるのです。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「……ただいま」

 はにかんで答えられたその言葉と笑顔も、変わらないしるし。