[小話]らぶ・あくしょん!
2010/4/14 水曜日
鏡の中にはひとり、見慣れない顔で見返す女がいた。長くまっすぐで癖の無い銀髪は今はおろされ、さらりと肩を流れ落ちる。うっすらと施した化粧は、すっきりとした目鼻立ちに仄かな色香を添えていた。我ながら悪くは無いと思う。
思うのだが。
「……ううぅ」
どうにもこうにも気恥ずかしくて、クリスは低く唸り声を上げた。鏡に映る自分の姿をこれ以上直視できず、すいと視線をはずす。
今クリスが身に纏っているのは、常の銀の鎧でなければ橙の騎士衣でもない。もちろん若草色の旅装でもない。クリスを肢体を包んでいるのは、ゼクセンでこの夏流行した、ありふれた……それだけにこれまでクリスが着ることの無かった、ごく普通のワンピースだった。薄い蒼のワンピースに合わせて、肩にかけた淡い桜色のショールは文句なしにクリスの端正な容姿を引き立てているのだが、肝心のクリス自身はこうしたものを着慣れておらず、面映いような、むずがゆいような気持ちを抑えられないでいた。
まるでいそいそと逢引に出かけるお嬢さんたちのようだ、と思って、クリスは深々とため息をついた。それはまさしく、今の自分のことではないか。
「早まっただろうか……」
僅かに後悔を滲ませて、クリスはがっくりと項垂れた。パーシヴァルの冗談を真に受けてしまった己の浅はかさが悔やまれる。
五行の紋章戦争後、ゼクセン騎士団は少しずつその在り様を変えつつある。今でも騎士団は国防と国内の治安維持、その両方を担っていたのだが、最近は前者の比重が軽くなってきている。もちろんいざというときに備え、時折大規模な演習も行われることがあるが、ビネ・デル・ゼクセをはじめとする街の巡回警備や、夜盗退治のほうに力を入れている。
グラスランドとの戦は正式には終わったわけではないが、小競り合いさえ起きていない現状としては、実質終了したものとみていいだろう。そのような時期に、下手に軍備増強を図ってると疑われるような真似は避けたほうがいい、というのが誉れ高き六騎士全員が一致した意見だった。また並行して、評議会に対してグラスランドとの停戦条約を結ぶよう働きかけている最中でもある。好戦派とも呼べる一派のほとんどが、ハルモニアとの内通によって力を失ったこともあり、現在条約の文言を細かく推敲する段階にまで来ている。
そんなこんなで、最近のクリスはビネ・デル・ゼクセ勤めが増えてきていた。評議会との会議には、やはり正式に団長に就任したクリスが出席するのが妥当、ということもある。そのため、今日も今日とてパーシヴァルを供に、ビネ・デル・ゼクセに戻ってきたのだ。
『クリス様も、たまにはお洒落をしてヒューゴどのを驚かせてみてはいかがですか?』
その話が出たのは昼食時、ビネ・デル・ゼクセで流通しているものについての話だったか。
戦の気配が急速に遠のいたせいか、このところビネ・デル・ゼクセを訪れる商人は増え続けている。流れ込んでくるものが、食料や武器・防具のみならず、色とりどりの衣服や装飾品など必需品ではないものまで多岐に渡っているのは、取りも直さず平和の証だろう。そして、真っ先にそれら嗜好品に飛びつくのはたいてい若い女性たちで、思い思いの工夫をこらして恋人と語らう女性たちの姿を、このところよく見かけるようになっていた。
クリスにとって必要なのは、そうした事象から読み取れる状況だけだ。わが身に置き換えて考えるような出来事ではない。
だが。
『……そうだな』
茶化すような、からかうようなパーシヴァルの言葉に笑みとともに曖昧に答え、それで終わったはずの話を、クリスは珍しくその後も気に留めていた。
クリスとヒューゴは恋人同士とはいえ、そうそう気軽に会うことはできない。互いに忙しい日々を送っていることもあるが、二人の間に横たわる距離も大きく、ただのヒューゴとクリスとして二人きりで会える時間というのは貴重だった。恋人としてゆっくり会えたときはそれだけで幸福で……クリスの中から、お洒落をするとか凝ったシチュエーションを考えてみるとか、そういった事まで気を回す余裕はなく、今まですっぽ抜けていたのだ。
だから、だろうか。
パーシヴァルとの会話をなんとなく気に留めていたクリスは、仕事のあとなぜか服屋に寄り、店員に薦められるままワンピースとショールを購入し、帰宅後着替え――現在我に返り途方に暮れている、という状況だった。
「……しまった」
階下の居間においてある時計がぽおんと小さく鳴るのが聞こえ、クリスは小さく舌打ちした。今日はヒューゴがビュッデヒュッケ城に出向いているため、互いの仕事終わりに合わせてビネ・デル・ゼクセで会おうと約束していたのだが……その刻限までもう幾らもない。今からまた着替えて向かうとなると、ヒューゴを待たせてしまうことは確実だった。諦めてこのまま行くしかないだろう。
いつものように愛用の剣を持っていこうと、机の上に置いた剣に手を伸ばしたクリスだったが、暫く躊躇ったあとその手を引っ込めた。
「……どうせだからな……」
小さな苦笑とともに、代わりに護身用の小さな短剣を手に取る。どうせ普段と異なる格好をしているのなら、とことんまで『普通のお嬢さん』のように振舞ってみるのも一興だろう。普段と違う自分に、ヒューゴは驚くか笑うのか、クリスには予想はつかないけれども、その反応を見るのもまた面白そうだった。
「行ってきます」
そうしてクリスは、ワンピースの裾をひらりと舞わせながら、灯りが照らし出す街並みに飛び出したのだった。